アニメについて-どちらが正か否かではなく-
そりゃいろんな事情はあるだろうけど、「仕事>アニメ」な考え方や暮らしを選んでいるのであって、決して「仕事でアニメが見られないのは当たり前」ではないと思うのよね。そういうことを言われると、「この人にとってアニメはその程度のものなんだな」と思ってしまったりします。(「光希桃 Anime Staition」さん 3月22日)
結局、アニメを見るという行為は誰のためでもなく、自分のためなのであって、その点は両者とも同じはずなんだけれども、こちらのスタンスを全否定されたかのようで実に承服しかねる。(id:miduki-s:20060323:#1143049444)
「忙しくてアニメが見られない(ことが当然)」と言われることで、こちらのスタンスを全否定されたように感じるし、もっというと気分が悪い。自分でもそう思っているからなおのこと。「光希桃 Anime Staition」さん 3月23日
ゲームもそうなのだが「親切な人(暇人というと聞こえが悪いが)が全部チェックして忙しい人間がその情報で取捨選択」と言う構図は実にありがたいシステムだと思うので、暇な人は「お前ら忙しいとか言ってねえでもっとアニメ見ろ」と言わずに「可哀想な人たちのために情報提供してやるか」ぐらいの気持ちで。忙しい人は「こっちゃ忙しいんじゃ全部アニメ見てる余裕あるかボケ」とか言わず、情報提供者への感謝を忘れないようにしていきたい。(id:Nachbar:20060326#p3)
学校を卒業してからは自分でお金を稼がないと、
マンガとか雑誌とかDVDとかゲームとかその他諸々のモノを買う事すら出来ないし、そもそも基本である生活そのものが出来ない。
だから仕事にある程度、自分の生活のウェイトを置くのは当然だと思うのです。
別にアニメを軽んじてるのではなく、見るアニメを選んでいこうという事。
そうしないと、アニメを見る事自体が苦痛になっちゃう。(id:nak-tojo:20060324)
私も言いたい事あるけれど、社会人として仕事に忙殺されたことが無いから何も言えない。でも、朝6時から通学、学校からその足でバイトで0時までって経験はあるからいいか。書いちゃえ。
別にどっちかの意見に賛成して、この論争に決着をつけようってわけじゃありません。これに便乗して、自分のアニメの思いいれについて書きます。
この論争にとても寂しいものを感じます。
もしアニメの中に何かの主張をしているものがあったとしたら、それを取り落とすのはとても勿体無い。どこかで反戦を訴えているものがあったとして、それを『仕事が忙しいから』の理由で観ないのはとても馬鹿げている。そこまで極端じゃなくても「今の社会っておかしくないか」とどこかのアニメが言っていたら、それを『仕事が忙しいから』の理由で観なかったとしたら社会はいつまでたっても良くならない。
別にアニメに限った話じゃないけれども、『アニメで観ると"勘"が働く』って類の人間は確かにいるし、アニメじゃないと表現できないってことに挑んでくれているクリエーターもいるはず。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それからファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ。」はてしない物語 (上) (岩波少年文庫 (501))
人間が歌を聴くのは別にカラオケでそれを歌うためじゃないし、映画を観るのは俳優の名前を覚えるためじゃない。勉強をするのはテストで良い点を取るためでもない。
ガンダムを観てそれが面白いのは、MSがカッコいいからでもないはず。
本当ならね。
それを生きがいにしている人には悪いけれども、ガンダムの歴史を年表にして、それをデータベースにして楽しんでも何の意味も無いような気がするんです。MSもキャラクターもその世界に広がる"設定"も、説得の道具であるのが一番正しい形だと私は思う。
もちろん奇麗事で動かないのが社会だから、客寄せとして用いられることもある。
ゲーム化も雑誌化も本当なら嫌悪を覚えなければいけないんじゃないだろうか。
その物語を本当に愛しているのだったら、そういう『語りの道具』を取っ払って、『物語の深奥』から何かを持って帰るのが本当だと思います。
スポンサーとお客にはヘラヘラ笑って金だけ出してもらって、仕方が無いから物事が上手く回る程度には妥協しておこう。
でなきゃ、ガンダムは「30分のプラモデル宣伝」だと言われてしまう(大塚英志とかに)
視聴率は面白そうな作品を探す材料。ブログでアニメの感想を書くのは理解を深めるため、ですよね?
アニメは"情報"じゃなくて"説教"。多ければいいってモノじゃない。取捨選択する必要も本当は無いはず。
多角的に物事を調べようとした時、たとえば新聞を読み比べたりするのはそれは事件に色々な解釈があるから。沢山の事件があって全ての新聞がそれぞれ別の事件を取り上げているからでは無い。
「ああ、このアニメは面白かった。これを他の皆にも観て欲しい」って事がネット上でのアニメファンの仕事だと思う。「〜の回では、…が―して、どうなった」とそのアニメでの"出来事"をつらつらと表記するだけっていうのは違うと思う。
「オジマンディアス」のどこでもいいから一行引用するようにとか、その詩がだいたい何を言っているのか、説明するように命じたとしても、それができるものは十人いるかどうかあやしいものだと思うけれども、芽を出していないチューリップに誓って言えることは、その中でおよそ五十人はシェリーが自由恋愛を全面的に支持したとか、彼の妻が『フランケンシュタイン』を書いたとかもうひとりの妻が投身自殺したということは知っているのである。(大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫))