遭うとプット 入んプット

 まあ、毎度のことのように私の歪んだ考えなのですが、アルバイトをするということは、自分の自由な時間を他者に譲り渡すということである。
 まあ、当たり前のことなのだけれど。
 でもやっぱり、アルバイトをするというのがなんだか怖い。とは言っても別に、接客が嫌だとかそういうことじゃない。自分の時間が無くなるのが怖いのだ、マジで。
 今更ですが、何かを為すためには何かを捨てなければならないのだなぁと最近ひしひしと感じております。
 往復四時間半かけて大学に行く私は、その往復四時間半を自分の可能性を狭める存在としか感じられない。アルバイトをすれば、当然自分の趣味に費やす時間も減るんだから、ある程度の自分自身の減退を感ぜずにはいられない。
 アルバイトというのは時給だ。時給というのはつまり、一時間当たりの労働に対する対価だ。つまり、一時間でもらえるお金は決まっている、ということだ。インプットはとても狭い。
 アウトプットとはつまり、消費することだ。一時間当たりの労働の対価を使用するのだ。時間を削ることで、手に入れたお金を、更に時間を消費して使うのだ。
 つまり経済だ。
 働く時間をそうそう増やせるものではない。おまけに、一日は二十四時間で、僕たちの一生という物も大抵限度というものがある。例外を除けば、高校生活は三年間、大学生活は四年間。一年は三百六十五日。僕は一日四時間半を移動に費やしている。アルバイトをすると、趣味の時間が減る。趣味の時間が増えると、アルバイトの時間が減る。
 ああ、嫌だ嫌だ。
 何かをすることによって、何かを犠牲にしているのだ。きっと僕は、大学に行くことによって、絶対に何かを損なっている。正直な話、往復四時間半が憎い。
 普通の人間よりも四時間半も損しているのだ。その四時間半をもっと有意義なことに使いたい。
 どうしてウチには金が無いんだ。どうして僕には、こんなにも可能性が少ないのか。
 やりたいこともやれることも、そういう事を全て犠牲にして、僕らは生きているんだなどと半ば自棄になっている自分です。