早慶戦とリンゴ
私は全く野球に関心がありません。小学生の頃、周りに野球帽を被るのが流行りだして、私も母に強請って買ってもらったのが、青かったからという理由で中日の帽子。それが理由で取り敢えず「好きな球団は?」と聞かれたら、「中日」と答えるようにしています。「野球に興味は無い」と言って場をしらけさせるのも嫌なので。
さて、昨日、十一月二十一日はなんの日か知っているでしょうか? のっけに野球の話をし出した私ですから、勘のいいかたは野球に関することなのでは、と勘繰ってくれるはずです。
早慶戦の歴史(http://www.w-ouen.com/soukeisenpage.htm)
早慶戦が始まって昨日で、百年になるのだそうです。しかし、だからといって別に私はその程度の事でこれを日記のネタになんかしません。だって、話を膨らませられないじゃないですか。
取り敢えず早慶戦とは、読んで字の如く小早川秀秋と武蔵坊弁慶の戦い…。
んなこたぁない
取り敢えず、二人の生きていた時代が違いますから。おまけに小早川さん、弱そうですから(なぬ
しかし、アレですねぇ。弁慶の忠誠心、これは後々の現代になっても語り継がれる美談なのですが、小早川秀秋の徳川への裏切りはさして歴史の教科書に載るかどうかも怪しいです。しかし、小早川さんの裏切りというのは、現在日本の運命を左右していた出来事といっても差し支えないほど大きな出来事なのです。(詳細を知りたい人はググれ。)皮肉なものですね。所詮、弁慶が立って死のうが、座って死のうが、笑って死のうが、食あたりで死のうが、知ったこっちゃないって話です。
さて、横道それまくりなワケですが、私はただ端にこのURLを残しておきたかっただけなのです。
海ゆかば(http://y4444y.hp.infoseek.co.jp/umyk.html)
うみゆかば(http://www.fbw.co.jp/~kintogin/yanagihara/sakuhin/umi/)
海ゆかば・抜刀隊(http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/04/bato.html)
面白い記事のURLを残しておくのが、blogの本領なのですが、私はこのFlashを残したかったのです。
さて、「海ゆかば」と早慶戦の関わりなのですが、私が話しのタネにしたいのが1943(昭18)年の早慶戦。
「出陣学徒壮行早慶戦」(http://www.w-ouen.com/soukeisenhosoku.htm#saigo)
10対1で早稲田が勝利した戦前最後の早慶戦。試合終了後、この「海ゆかば」が応戦席から、両校学生に広まり、球状全体を包んだのだそうです。
海行かば 水漬屍 山行かば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ(http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/umiyukaba.html)
意味が分かりません、自分流に解釈。
「海に行けば水に漬かる屍、山に行けば草に横たわる屍 我が主のために死のう、振り返りはしないさ*1」
あ” あ” あ” あ” あ”
なんだか無性に泣きたくなってきました。
これは私が日本人だから? それとも人間だから?
とにかく泣こう、友のため(ぇ。
当時の大きな志を持った学生達の、(私達の時代の若者から見た場合の)理不尽な死を要求された彼ら。
思えば、歴史というものは語られないもので創られていて、取り返しのつかないもので組み立てられていて、全て繋がっているんだなぁと僕は思うのです。
この「海ゆかば」を詠ったのは大家大伴家持さん。偶然が繋がります。永井荷風が早慶戦リンゴ事件の事について日記に書いています。
永井荷風は近代日本に反発した文豪、大伴家持は時代の流れに媚びない自己を貫いた歌人。
なにか奇妙な縁を二人に感じるのです。
そして、慶応・早稲田両校ナイン。彼らは誰一人として、戦場から帰ってこなかったそうです。
いわゆる戦意高揚のために曲がつけられたこの歌なのですが、当時の防人達・大伴家持はそんな事など知るよしも無く、それにも関わらずこの歌は愛国心を高めるための歌として戦時下の日本に甦ります。
思いが受け継がれた、とはあまりに飾り立てられた綺麗過ぎる戯言でしょうか。
”彼ら”はなにを思い、なにを見て、この歌を歌ったのでしょう。
小早川秋秀のように歴史を変えたわけでもなく、弁慶のように歴史を語り継がれたわけでもありませんが、歴史は繰り返し、なおも僕たちの心を締め付けます。