AKIRA

 今日、大友克洋の「AKIRA」を見終えた。大分前にビデオにダビングして、積んだままにしてあったやつだ。
 最近思うのだが、映画でもアニメでも小説でもゲームでも物語作品ならなんでも、見落としていいものなど何一つないのだと思うようになった。
 何故このような形をしているのか、何故このような色を選んだのか、何故この物を選んだのか、何故この言葉を選んだのか。
 そういう事を考えながら、画面に映る何一つも、画面から流れる何一つも見逃すまいと、食い入るように物語を見ている。
 AKIRAを観ている時もそうだった。
 何故東京オリンピック前の東京を選んだのか、何故あの改造人間達はあの玩具に化けたのか。映像に映る何一つも見逃してはいけない。キャラクターの表情の一つ一つに意味があって、画面に映る物体の一つ一つに意味があって、画面から流れる音の一つ一つに意味がある。
 それは小説にも同様で、例えば、「よい」と「好い」と「良い」と「善い」の使い分けとか、類義語の中で何故その単語を選んだのか、とか。
 そういう風に考えた時、この世の中全てが面白い事のように感じられるのは私が単純だからでしょうか。
 つまり、生きるという事に意味を見出せるか否か。
 物事に対して真剣に向き合えば、人生というものはとても面白いものに化けるのではないのかと思う今日この頃でした。