文攣り人形

 本屋でバイトをしているのですが、レジ打ちをやっていると「空っぽの大衆」の不気味さみたいなものを実感できます。
 僕は笑顔で応対しながら、こんな事を考えています。
「ケッ、また綿矢りさかよ」「ああん? 『世界の中心で、愛をさけぶ』? おいおいあんな使い古された題材のどこがいいんだよ」「漫画ばっかり、俺、これ何冊売ったっけ?」
 イライラしてきます。単純に私がひねくれているだけなのですが、綿矢女史、金原女史、直木五十六御大賞受賞作家を筆頭に、『世界の中心で、愛をさけぶ』『冬のソナタ』。
 考え無しもいいところだな。なんつーか、俺にはこいつらが社会の操り人形に見えてしょうがない。
 自分の力で探す事を放棄しているというのか。


 『本を選ぶ』っていう事は、本を読む事よりも大切な事だと僕は思います。
 なぜなら、『本を選ぶ』という事は、自分がどんな人間なのかを考えるきっかけになるからである。


 「自分が今、必要としているのはどんな本なのだろう」という自己自身への問い掛け。それはそのまま、自分自身はどんな人間なのかを問う事に繋がる。


 「時代に遅れちゃうから、友達との話題づくりをしたいから」という理由で本を読むのはやめろ。お前らそのうち、『マイン・カンプ(我が闘争)』みたいな本が出版されたとしても、平気で読み始めるんじゃないだろうな? 俺はそういうのが心配だ。


 一つ言っておく。『世界の中心で、愛をさけぶ』みたいな作品は、既にクラシック的(純文学的)な分野で既に出ている。それを革新的内容だの、感動の嵐だの、良本だの言うのはやめろ。
 温故知新って言葉の意味をもっと真剣に考えて見やがれこんちくしょう。