たまに、テキストサイトを覗いてみたりすると、こんな一文を見かける事があります。
「一年前のテキストなんてとても恥ずかしいです」
 つまりこれは、一年前の自分の未熟さを恥じる文章なのだが、しかし、こんな事を言う(書く)人に限って、ただ単に文章の書き方が小さくまとまっただけに過ぎない印象があります。
 「出る杭は打たれる」なんて言葉に代表されるように、日本人は皆が同じであること、平等であること、均質であることを好む性質があると言われています。独り前に進めばフライング、独り後ろに遅れればアナクロ。とにかく人は人を馬鹿にするのが好きなようです。特に性質の悪いモノですと、未熟だった過去の自分を貶す代わりに、年下の他人を貶すなんて輩も中にはいるようです。
 そんな環境の中、日本社会は根底から腐っています。日本から世界に誇るような文化人や学者が輩出されていないのは、日本人のこの気質に由来すると僕は考えています。そもそも、日本という島国はその島国の性質ゆえ、他の国の文化圏とはあまり交流がありませんでした。確かに貿易をしていないわけではないですが、欧羅巴文化圏の比ではありません。
 平等的衰退的退廃主義。最近の殆どの日本人が「成長すること=小さくまとまること」と勘違いしているように僕は思います。とにかく、他人に馬鹿にされないようにするという事に神経を使い、前に進むことをしない。確かにマナーというものがある。他人に迷惑をかけまいとするその心意気も良しとしましょう。しかし、それが本当に自分を殺してまでの価値のものか。
 応えるだけが能じゃないでしょう。時には引っ張ったり、突き放したり、殴ったり、蹴ったり、壊したり。
 様々だから世界は面白いんでしょうと僕は言いたい。自分が自分であるということに満足して、自分であろうとする事をやめるのならそれこそ病的末期的。
 何もしないでただ毎日をダラダラと。サボるなと僕は言いたい。誰かが何かをしてくれるのを待っている。その癖に文句だけは一丁前。
 たまに見かけます。自分が優しい人間だと思い込んでいるヤツ。自分が他とは違う変わった人間だと勘違いしているヤツ。馴れ合いで済ませてちっとも前に進まない。自分が評価されないのは、運が悪かったと考えている。身内から慰められるのを待っている。
 ふざけるなよ、手前ら全員、背筋を伸ばせ、トロトロ死んだ魚の眼して歩いてるんじゃない。邪魔だ。