よく人を表するモノとして「裏の自分」「表の自分」という言葉があります。しかし私は小さい頃からこの言葉に対する不信がありました。というのも人間というモノは「裏である必要がある」という要素を含めて、それ全てが「自分」だと思うのです。
「本当の自分がワカラナイ」
 なんてセリフが安っぽくなってしまった現代日本ですが、そもそも「本当の自分がワカラナイ」自分。を自分として受け入れようとしないのは何故でしょうね。何者でも無い自分。嘘をついている自分。明るく振舞おうとしている自分。
 つまり「〜でいる自分」ではなく、「〜であろうとしている自分」
 「明るく振舞おうとしている」人の場合、そこにいるのは「明るい」自分などではなく、「振舞おうとしている」自分。
 もはや使い古された言葉なのですが、「全てを受け入れる」というのはこのことだと思うんですけどね。
 「こんなの自分じゃない!」なんて言って自分の今もしくは過去を否定する人がいるのですが、過去もしくは今そういう必要に迫られてそういう行動を起こすような自分だったから、そんな自分なのだと僕は思うのです。
 指定語ばかりで、読みづらい日記だなぁ、と今日の日記を振り返る僕なのでした。