裏-Turn

 人間っていうのは、他人の不幸を慰めたいと思う欲求と更に貶めたいという欲求があるわけで。そもそもその人が不幸なのは、その人がそういう事実を被っているからこその不幸なわけであって、外野である僕達がそれらを本当に知ることは出来ないわけですよ。
 で、急にどうでもいい話をしますが、なんかのテレビ番組で「動物と触れ合おう」とかいう企画がある訳ですよ。で、今流行りだかなんだか知りませんが笑顔を被った女がテレビに映るわけですよ。「うわー、かわいいー」なんて言いながら、自分の可愛さをアピールするわけですよその女はね。でね、ハムスターだか猫だか熊だかパンダだか知りませんが、取り敢えず撫でるんですよ愛でるんですよ。ええ、人間で言うところのコミュにーケーションですね。なにがコミュニケーションですか。動物を檻に閉じ込めておいて、餌付けしておいて、首輪をつけておいて、なにがコミュニケーションですか。勘違いも甚だしいですよ。でね、噛むんですよ。その愛玩動物がね。でね、人間っていうのはね、他人の事情はどうあれ、自分の都合というものは他人に押し付けないと気がすまないわけですよ。朝、「おはよう」と挨拶されたら、挨拶し返さないといけないんですよ。誰ですか、「おはよう」だなんて言葉を作ったのは。僕はいつだって「おそよう」ですよ。いえ、そんな事を言いたいわけではないのです。でね、その女はねきっとね、内心このやろーとか思ってるわけですよ。愛するよりも愛されたいってヤツですよ。誠に勝手ですよね。いい加減にして欲しいですよね。なんでまあ、人というのはあんなにも勝手なんでしょうね。
 でね、自分が何を言いたいかというとね、別に何も無いんですよ。何ででしょうね、色々とにかくね人格的に未熟なヤツはね、自分の思い通りにいかないと気が済まないわけですよ。他人をね、自分が思っている通りの人間にしたいわけですよ。例えば、Aさんは親切な人間だ。だから、Aさんは私に親切でなければならない。
 つまりね、その「親切」という言葉は、犬につける首輪。パンダを閉じ込める檻。なワケですよ。つまり、それ以上でもそれ以下でもなく(精神的にも)自分に危害を加える存在ではあってならないわけですよ。
 つまりね、僕は本当は人間が嫌いなわけですよ。人は人に何かを求めて行動しているというのが見え見えなワケですよ。その言葉一つ一つに隠された本当の意味が、僕にはもう見えちゃっているわけですよ。だから嘘を吐くなんて容易いわけですよ。
 掲示板に他人を励ます内容を書き込むのは、サッカーで独りボールを手に持ってゴールに放り込むように簡単なわけですよ。
 チャットで内心他人を小ばかにしながら静観するのは、電車で居眠りするのよりも簡単なわけですよ。
 でね、サイト運営者がね。疲れたー、とかなんとか言うのも簡単なわけですよ。でね、外野もね、それが本当かどうかなんて確かめるすべも無いわけですよ。でね、皆同じように書き込むわけですよ。「頑張ってください」ってね。
 つまりね、猫に餌を与えるわけですね。
 でね、本当の苦労なんてね、実は誰も分かっていないわけですよ。おまけにね、苦労していないやつに限って疲れた疲れた言うわけですよ。けれどね、やっぱり苦労という物は存在するわけですから、苦労という言葉を吐き出せずに苦労するわけですよ。
 ああ、遂に毒を吐きつつ収拾がつかなくなってきました。
 つまり他人に何かを求めてんじゃねえよとか、文句を言うぐらいなら最初からそれをするなとか、自分でそれをやったなら文句をいうなとか、俺のことを信用するなとか言いたかったんだと僕は思う。
 で、結局ね。俺がこういう毒を吐いたとしてもね、その辺に埋もれるわけなんだよね。