夏目漱石「それから」

 夏目漱石は素晴らしい。俺の心の故郷だ。
 何が素晴らしいって、人物の書き分けが綺麗なんですよ。それに、人間の心の距離の描き方が秀逸なんですよ。(御大が秀逸なのは当たり前だ。)
 ブギーポップ読んでも、心は常に純文学。
 今日は純文学に興味がない人も夏目漱石に興味を持ってくれそうな箇所を抜粋。死後五十年経っているから著作権に問題は無いはず。
 夏目漱石「それから」主人公―代助と、その友人―平岡の談話。ちなみに、その平岡さんはお酒が入っています。
 なお文中、こんな一文があることに注意してください。

 平岡は酔うに従って、段々口が多くなってきた。(中略)代助に取って不思議と思われるのは、平岡がこう云う状態に陥った時が、一番平岡と議論しやすいと云う自覚であった。

 ちなみに、平岡さんはとある事情で職を失っています。また、主人公の代助は家が裕福であるため、働かずにのんびりと暮らしている男です。(一部略している箇所があります)
 お題はやはり、「世界と”自分”との繋がり(関わり方)について」かな? そう言うよりも意外と具体性のある内容ですし、自己の内面性に重点の置かれた内容。
 セカイ系西尾維新佐藤友哉が好きな人なら尚興味深く読めるはず。(人を巻き込むために、わざわざ読んで欲しい人が日記に使っていそうな単語を書き込むテスト)

(平岡の言)「君(=代助)は何も為ない。君は世の中を有りのままで受け取る男だ。意思を発展させる事の出来ない男だろう。(代助は)始終物足りないに違いない。僕は僕の意思を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意思の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君(=代助)はただ考えている。考えているだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立して生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕の方が本当の失敗の度は少ないかもしれない。でも僕は君に笑われている。僕は君を笑う事が出来ない。世間から見ると、笑っちゃ不可ないんだろう」
(代助の言)「君が僕を笑う前に、僕は既に自分を笑っているんだから」
(しばらく心象描写)
(平岡に何故働かないと問われた代助)「つまり世の中が悪いのだ。日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。有りのままの世界を、有りのままで受取って、その中に僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方の考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの―」

 この会話の中で代助は当時の日本社会(たぶん明治時代)をこう評している。

「精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いている断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。

 ロシアの文豪―ドストエフスキーの一連の書物は現代社会の予言書と言われているのですが、夏目漱石御大も負けず劣らず、西洋文化に波押される日本社会の有様を危惧していらっしゃったのですね。
 (夏目漱石だけに)流石だ。(漱石枕流)


 今はどちらかというと、世の中が悪い悪いとかいうのは学の無いフリーターばかりになってしまいましたが。