『A.I.』

 BSにて。


 それぞれの登場人物が短絡的な行動を取らないことに共感。特に母―モニカが一時的な問題に対してもワンクッション置こうとするところに"親として"の存在のリアルさを感じた。
 言葉の一つ一つ、存在の一つ一つが辛らつで、場面一つを切り取るだけで色々と考えさせられる。
 SFとしての側面としてロボットと人間とそれらの存在を取り巻くものとしての"愛"もあるとは思うのだけれど、ロボットという存在をメタファーとして文学的に解釈したときにデイビッドは"感じやすく親に愛されたい自意識の肥大した"近代的な子供として見ることも出来る。
 ショウというものも人間の意識を解釈する上で面白い。ロボットを壊してはカタルシスを得ようとする人々の姿は確かに芸術の一側面だ。その中の司会者の言葉も、ただの非情に満ちているだけではなく一理ある。
 そんな時にひょいと現れるジゴロ(男妾)・ジョーの存在が面白く、一時「愛は信じられない」と言い切る彼はその直後に捕まってしまう。その後何とか逃げ出し彼はデイビッドと一緒に目的地に付く。デイビッドがその目的地にたどり着こうという一歩手前にジョーはまたも捕まってしまうのだがその時にはもう「僕は生きたぞ」と言ってくれる。
 その言葉に何か僕はとても大きな救いを感じた。


 ラストは人間の"後"の世界が描かれるのだけれど、これは物語を終わらせ観客を納得させるだけの蛇足だと感じた。