屍鬼〈上〉作者: 小野不由美出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1998/09メディア: 単行本購入: 14人 クリック: 2,926回この商品を含むブログ (68件) を見る

屍鬼〈下〉
 こういうことを小説で書いてしまえる人間は世間が汚らわしく見えて仕方がないのではないか。
 人間のエゴや醜さ、日本人特有の精神の弱さ、怠惰さの観察は確かなもので、それをエンターテイメントにまで昇華する技術も見事。文学と大衆小説の合いの子の一つの完成形じゃないかと思う。


 舞台は外場と呼ばれる村。そこに一つの洋館が移築されたことから物語が始まる。
 その出来事と前後して村人の突然の死が、それがまるできっかけであるかのように相次ぐようになる。
 物語はその死とじかに接することになる村唯一の医者と寺の副住職がその謎解きをする形で進行するのだけれども、そのロジックがいかにも「おとぎ話がおとぎ話に返された後の現代」の物語の課題にぶち当たることになる。
 話は次第に「吸血鬼」という答えに行き着くのだけれども、もちろんそれを否定するのは現代の常識。
 これが「物語」だったらなんだかんだで登場人物たちは吸血鬼という架空の存在を受け入れるのだけれども、それをそうしなかったのが小野不由美の強さだしこの物語の厚さ。
 物語の後半では吸血鬼を信じざるを得ない状況になっているにもかかわらずそれを信じない、という価値観の逆転が起こるのも面白い。


 各節、章毎に視点は村の子どもや大人の間を転々とするのだけれどもそれらのどれもが生臭く、汚く、醜い。
 特に「現代の」「田舎」である舞台を十分に活かし、世代間の価値観の相違、田舎と都会の価値観の相違をこれでもかと突きつける。この物語は「一人一人が主人公ではない」物語じゃないかと思う。特に「都会の大学を志望する高校生」である夏野という登場人物の内面描写がいい。自分に好意を寄せていた同級生が死亡し、その同級生の友人が、死んだその女子の書きかけの手紙を夏野に渡そうとすることを「メロドラマの延長を現実に求める」ようなものだと切って捨てる。こういった考えかたをするキャラクターは今までに無く新しいが、現実にはそういう傲慢さを嫌う人間は確かに存在し始めていると思う。
 人間の弱さをここまで突きつける内容はアニメで言えば『無限のリヴァイアス』に近いものが感じられた。
 読んでいて不愉快になる物語ではあるが、これを不愉快に思ってしまう理由は多分読者の弱さに由来してくることなんだろうと思う。