その時歴史は動いた 第250回「それでも地球は動いた 〜ガリレオ・ガリレイの栄光と挫折〜」

(http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#03)


 ガリレオの宗教裁判の記録について。私は今までガリレオは宗教裁判では己の信条を曲げなかったと思っていたんだけれどそれはどうやら後世の脚色らしく、一旦は地動説を破棄するを得なかったらしい。
 裁判後、研究成果をまとめあげた。


 ガリレオ自身別に無神論者というわけではなく、科学と宗教の折り合いを如何につけたらよいかと模索していたらしい。彼の著作もただ論を展開するだけに留め、判断は読者に委ねたらしい。
 イメージとしてたった一人で古い習慣と戦った人というイメージがあるのだけれど、彼の著作は「新しい時代の幕開け」として民衆にも受け入れられたらしい。


 じゃあ、何で裁判にかけられる羽目になったかというとそれはやはりその世界に余裕が無かったから、なんだと思う。
 たとえそれが真実だとしても、物事を上手く運ぶためには嘘でもそれを押し通さなければならない。それが慣習の存在。
 世の中は本当に複雑だ。


 今では「衛星で観測できるから」なんて理由で「地動説」を信じられるわけだけれど、ガリレオはこの地上にいながら観察と実験によって真実を得た。
 そういう、好奇心というやつには感動させられる。