既存の「ありきたり」に文句を言いたいのは分かるのだけれど、結局はそれにおんぶされながら物語を進めておいて目的地に到達しておいてから運んできてくれた人に文句を言うのは筋違いだと思う。
 壊すことに夢中になるのはいいけれど、それでも結局新しい物を作れないのならそれは有意義な創作活動と言えないのではないかと思う。


 本誌内での対談でも「日和るな」と言いながら、キャラクターの設定にかこつけて結局は友哉自信が一番日和ってます。  



  • 悲しみは逆流して河になる(郭敬明)

 ただのメロドラマでしかない。
 「可愛そうな私たち・可愛そうな僕」身分違いの恋愛に倒錯していい気分に浸っているだけの小説のどこに「現代」があるのかを見出すのには苦労しました。
 確かに「頭をなでられることを考えている自分」と「それを遠くから見つめるもう一人の自分」的な『冷めた子どものまなざし』にはジュブナイルとしての真価があるようには思えるけれども、話の下敷きになっている「売春婦の母・出来のいい男子と泥まみれの女子の心の乖離・妊娠・中絶」といった言葉にはなんら新しい物を作る気概も見出せない。
 ただ丹念に描かれた風景描写にはやたら過激な言葉ばかりを使いたがる現代の日本にはない誠実さが見られ、そこは好感が持てました。